シンクロニシティの春

 

こんばんは

3月31日ですね。

 

 

春はね、シンクロニシティをよく聴きます。

シンクロニシティと共にあるのは辛い記憶なのですが、シンクロニシティは大好きです。

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乃木坂46 『シンクロニシティ』 - YouTube

 

 

 

明日から4月ですね。

新しい環境に飛び込む人も多いのかな。

 

 

今回は自分語りみたいな感じで大変お恥ずかしいので、どうでもいい方は若月さんが最高であることが分かる過去のブログを読んでくださいな。

 

 

2019.10.29 若月佑美40万人記念インスタライブ(前半) - 好きな人の好きを、好きになりたい

 

 

 

 

 

私も3年前の春、生駒ちゃんが卒業した春、

シンクロニシティの春、に新社会人として社会に羽ばたきました。羽ばたいた?すぐ羽折れたけどね。

 

私が就いた、就こうとした職業は大学でそこそこ勉強し、指定された講義を受け、実習を受け、試験を受け、まぁけっこうそれなりに色々した(雑)

いろいろした割に自分の本意であったか?と言われるとイマイチ分からない。「自分の進路に向き合った時にまぁこの道あるよな、と道筋が見えたからそこを歩いてみた」といった感じ。

 

書いていて本当に情けない。でもそこに向けて頑張ってる自分は好きだったんだよなぁ。

 

 

 

 

 

ただ一次試験を突破したあたりから「私がなりたいものってなんだ?」「私ってこの職業に就きたいんだっけ?」とグラグラと精神的にきていて、なんと二次試験はすっぽかしたいと思うほどまでの気持ちになっていた。

実際二次試験までほとんど勉強や対策をせず、二次試験前日は夜通し泣いてほぼ不眠だった。

 

 

 

 

二次試験の会場に行った。真面目である。

真面目に20数年過ごしてきた私が、すっぽかせるわけがない。

やけくそで受けた。落ちても良かった。

 

 

 

 

 

 

 

受かってしまった。

 

 

 

 

 

 

試験は受かった。めっちゃ周りから祝福された。

こんな祝福されるんだなと思ったし、分かりやすくすごいねと言ってもらえた。私はこの職業に就きたいんじゃなくて、ただ周りの祝福や評価が欲しかったのかもなぁ。

 

 

人生をかけて試験に挑む人がいる中で本当に申し訳ない。

 

 

受かったら受かったで嬉しい。最低である。何度も言うが、その職業に就ける嬉しさというより「大学で頑張ってきたこと、勉強の成果が出たこと、周りに評価されること」に満足感を得ていたんだと思う。

 

 

いわゆる一般的な就職活動をしていなかったのもあり、受かったのでそのままその職業に就くことになった。

 

 

3月は考えないようにした。

人並みに卒業旅行に行ったり、バイトに行ったり、とにかく忙しくしていた。忙しくしてないと気が狂いそうになった。それでも心身共にグラグラ来ていて夜ぐったりとし気分が悪くなった。数少ない家族が倒れたりして頼るところもなく、引っ越し準備や新しい環境への準備もあり、かなり疲弊していた。

 

 

 

 

 

気づきましたよね。

「自分の進路や将来に向き合わずに、何を自分で病んでるんや、自己責任やん」

ごもっともです。

 

 

 

 

 

 

4月1日、新社会人としてスタートした。

職場に着いて、話して、座って、仕事して。目がぐるぐるした。ダメだ、この環境ダメだ。1日乗り切った。

2日目、着いた、話した、あぁ嫌だな。座った。話した。愛想笑いした、仕事した。あぁ大丈夫かな。

3日目、起きたくない、行った、仕事した、帰った、ご飯がしんどい。

4日目、行った、記憶がない、家でも何もできない。

 

そんな日々が続いた。

歓送迎会があった。お酒を注ぐために立って待機した。愛想笑い。気さくなふりしておしゃべり。あぁ、目がぐるぐるする。帰って泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

日々が続く。食べれなくなっていた。

でも食べないといけないので職場のトイレでこっそり朝ごはんをつめる。気持ち悪い。

あぁ、だめだ。

 

 

 

 

ある日仕事の格好のまま、ベッドから動けなくなっていた。もう、行けない。

 

 

 

 

 

 

行けないと思ったら、もう行けなくなった。

行けないとなったら、昨日までできなかった最低限のこと以上のことが何故か急にできるようになった。

昨日まで自分の着替えも、食事も、ままならなかったのに、「行けない」と判断したら、行けない力が湧いてきた。(意味不明)

 

 

 

 

職場への連絡、メンタルクリニックの予約、病院への行き方を調べる、今後の対応、親への連絡、マンション引き払わないとな、あ、ネット回線契約したばっかだ、住所変更、引越し手配、山のような書類.....

 

 

 

 

 

 

あぁ、日常が組み立てられてゆく。

組み立てられる余裕があったので、あんまり状況的に深刻じゃないんだろうな、みたいなことを自分で冷静に判断もしていた。それでも、「私は私の意志で逃げるんや」と強く思っていた。

 

 

 

 

はじめて、自分の意思でレールから外れられた気がした。めちゃくちゃ泣いたけど、少し嬉しかった。

 

 

 

 

 

職場の人たちはびっくりしていた。

そらそうだ、行けなくなる日までそんな素振り1ミリも見せなかったのだから。

笑顔で気さくで明るくて、そんな人を演じていたのだから。

 

 

クリニックで自己開示してびっくりするほど涙が出た。クリニックの先生は面倒くさそうだった。

こんな人を毎日山ほど見てるんだろうな。

というより、こんなに自己開示して自分のことを分析してツラツラ話せる患者見たら「コイツ大丈夫じゃね?」ってなるんやろうな。

まぁでもしっかり診断をいただきまして、「辞めれるのなら辞めたらどうや」という言葉もいただきまして、しっかり病んだ人間のレッテルをもらったので病んだ人間でーーす!と胸を張って武器にした(笑)笑えねぇ。

 

退職もまぁ簡単にはいかず、引き止められる作業があり、でも全く心が動かなかったし、一刻も早く逃げたかった。本当にすみません。迷惑はかけましたが、私は私を守るために逃げます。そんな強い気持ち。

 

いろいろあった。もうそれはそれはいろいろあった。職場との関係はわりとスムーズにというか、最小限の迷惑で済むようかなり慎重になったけど、1人であれもこれもあれもこれもするのでやっぱ大変。

住民票こないだうつしたばっかなのにな、みたいな。そういう細かいことが意外と精神を突いてくる。

 

 

 

 

 

 

退職して実家に戻っても寝れずに泣く日々が続いた。とにかく気分が悪かった。寝れないから乃木どこ、乃木中、mvをひたすら見た。5thバスラなんか気が狂うほど見た。乃木坂はすごい。頑張ってる人を見るとかえって辛くなることも多いけど乃木坂はやさしい。本当にやさしい。わたしにとって劇薬だった。

やさしくて笑える。あんなに泣いていたのに、笑える。もともと乃木坂も若月さんも好きだったけど、若月さんのことをますます好きになった。

命の恩人と言っても過言ではない気がしてきた(重)

 

 

 

あーーーーでもこんな私なんか、

若月さんから見たら本当にダメなんだろうなぁと思うけど、あーーーーでもこんな私でも若月さんは温かな言葉をくれるんじゃないかなぁ、みたいな甘え。

 

 

いつか胸を張って若月さんにありがとうを言いたいねぇ。

 

3年経った春、こうして文字にしているけど、やっぱり思い出すと辛い。あと文章を見てその支離滅裂さが分かるようにいまいち記憶がない。でもそういうところ嫌いじゃない。嫌な記憶残さない能力あるかもしれんみたいな謎の喜びすらある。

 

 

シンクロニシティを聴くと、「しょっぺぇな」と思う。泣きながら何度も聴いた。辛い記憶と共にあるのに、mvの美しさが大好きだ。乃木坂46のやさしい光が眩しい。

 

 

あ、そうそう。私は今生きてます。

時々やっぱりダメになっちゃうけど。

レールからは外れちゃったけどね。

今でもけっこうキャリアや給料について考えたりしてうぅ...となってるし、何なら辞めたいなぁ辞めたいなぁなんて思う日々だけど、我ながらこの仕事向いてるよなぁと思ってる職業に今就いているし、でもやっぱしんどいわぁなんて思うこともしょっちゅうで。でも、自分の心身と働き方が一応あってるかなぁみたいなところで今は踏ん張ってます。

 

 

でも、また明日急に辞めてるかもしれない(笑)

それでもいいよね、そんな感じです。

 

また乃木坂見て、若月さん見て、明日も一応生きてみよう〜